最終更新日:2023年10月03日
近世の日本で長きに渡り使用されていた小判・大判は、安土桃山時代に誕生したと言われています。小判・大判をはじめとした金貨にはさまざまな歴史があり、小判・大判の種類、時代背景によってその価値は変化してきました。
当記事では、日本で小判・大判が誕生するまでの歴史や、小判・大判の歴史的価値・現代における価値などを紹介します。小判・大判の価値について詳しく知りたい方は、ぜひ参考にしてください。
小判・大判とは、近世の日本で使用されていた貨幣のことです。古代より金は世界中で特別なものとして扱われており、世界最古の金貨は紀元前7~6世紀頃にリディア王国で発行されたと言われています。日本で初めて金貨が誕生したのは奈良時代で、その後時代の政策に合わせてさまざまな小判や大判が誕生してきました。
ここでは、日本で小判・大判が誕生するまでの歴史について、時代ごとに解説します。
日本で一番古い金貨は、奈良時代の天平宝字4年頃に製造された「開基勝宝」と言われています。円形の金貨には方孔と呼ばれる四角い穴が開き、奈良時代の学者である吉備真備の筆跡で開基勝寶と刻まれているのが特徴です。
開基勝宝は流通を目的として発行されたわけではなく、褒美などの目的や銅貨の価値を高めるために発行されたと推測されています。そのため発行枚数も少なく、現存するものは全部で32枚しかありません。それぞれ奈良西大寺塔跡から1枚、奈良県西大寺町から31枚が出土しています。
褒美等を目的とした金貨から流通目的へと変化し、金貨の価値が広まっていったのは戦国時代と言われています。戦国時代には大名同士の勢力争いの中で鉱山開発が盛んとなり、諸外国との貿易によって導入された精錬技術のおかげで、金や銀の産出量も飛躍的に増大しました。
戦国時代には多くの大名によって領地が統治されており、自領内は独立した経済圏だったと言われています。そのため、各領地において産出された金や銀を使って独自の金貨や銀貨を鋳造し、それぞれの領内で流通するようになりました。
日本で初めて小判や大判が誕生したのは、安土桃山時代です。日本最古の大判は「天正大判(てんしょうおおばん)」で、1588年に豊臣秀吉の命によって鋳造されました。小判は1601年に徳川家康が豊臣秀吉の許可を得たのち、大判の形式にならって江戸と駿府で鋳造が開始されたのがはじまりです。江戸時代には多くの小判や大判が流通したと言われています。
また、小判と大判では、使用目的がそれぞれ異なります。大判は戦などで功績を挙げた武士への褒美など、恩賞用や贈答用としても用いられるのが一般的でした。一方小判は、主に庶民が日常の取引用として用いることから発行量も多く、数多くの小判が流通するようになりました。
小判・大判の価値を知る上で大切なのが、小判と大判の定義です。下記は、小判・大判の一般的な定義、特徴をまとめたものです。
・小判とは
金銀の合金を楕円形に薄くのばして造られた延金のことで、大判より小さいことから小判と呼ばれています。表面に金額と極印、裏面に責任者検印などが記されていることが特徴です。1枚が1両とされています。墨書がないのが大判との違いです。
・大判とは
安土桃山時代から江戸時代まで生産された最も大きな金貨のことで、金を楕円形に薄くのばして造られた延金と呼ばれる貨幣です。別名「黄金」や「大判金」とも呼ばれています。大判は金の純度が高く、品質や質量を保証する極印や貨幣表面の墨書があるのが特徴です。
ここでは、小判・大判の歴史的な価値や現代における価値について、紹介します。
小判は市場に流通させることを目的とした通貨で、1601年に徳川家康の命によって鋳造されました。極印と呼ばれる箔押しのような手法が用いられており、容易に持ち運びができるように大判よりも軽く、サイズも小さめに作られています。金銀の合金で作られているため金含有量も低く、大判に比べると買取価格が低くなりますが、古銭の中では比較的高額で取引されています。現代の価値で換算すると、プレミア価値のある小判であれば200万円程で取引されることもあり、流通量が多い小判であっても50万円程の値が付くこともあります。
大判は安土桃山時代に太閤となった豊臣秀吉の命によって鋳造された、金の純度が高い貨幣です。流通用ではなく、大きな戦で功績を挙げた者に褒美として渡されていました。褒美として大判を贈る風習は江戸時代になっても残り、功績を挙げた臣下に対して、幕府からの恩賞として大判が贈られたとされています。
大判は手書きで墨書されていたこともあり、流通量が少ないと言われています。そのため金としての価値の他に古銭としての評価が加わり、小判と比べると高値で取引をされることが多いです。生産数が少なく保存状態の良い大判であるほど高値で取引され、安いものでも200万円を超えることも珍しくありません。状態が良く、人気の大判であれば1,000万円を超える金額で取引されることもあります。
小判の種類は、主に江戸時代以前と江戸時代の2つに分けられます。特に、1500年代後半の江戸時代以前に作られた小判は価値が高いため、買取でも高く売れる可能性があります。
以下では、小判や大判の価値を種類ごとにいくつか紹介します。
小判の種類 | 説明 |
---|---|
元禄(げんろく)小判 | 元禄小判は1695?1718年に使用された小判で、長期間使用して破損や摩耗が激しくなった慶長小判2枚に銀を加えて鋳造されました。大変価値の高い人気の小判で、約50万?100万円で取引されています。 |
慶長(けいちょう)小判 | 慶長小判は1601年に鋳造され、1698年と1699年に使用停止が提示された小判です。徳川家康によって江戸幕府(徳川幕府)が成立して最初に鋳造された小判でもあり、低い値段でも80万円台で取引されています。 |
天保(てんぽう)小判 | 天保小判は1873~1874年に使用された小判で、ローラーを利用した延金作業が行なわれた初めての小判です。買取価格相場は17万円程です。 |
宝永(ほうえい)小判 | 宝永小判は1710~1738年に使用された小判で、通貨の増加と小判の補修を目的とせず、金貨としての価値を取り戻す目的で鋳造されました。サイズは小さめですが、約50万?100万円で取引されています。 |
安政(あんせい)小判 | 安政小判は1859年6月1日に鋳造されて、同年8月11日に鋳造停止、1874年に使用停止した小判です。鋳造数と流通数が少ないことから希少価値が高く、約50万~100万円で取引されています。 |
文政(ぶんせい)小判 | 文政小判は1819?1842年に使用された小判で、金含有量が最も低い小判と言われています。ただし、献上用の小判であれば通常品の10倍の価格が付くこともあります。買取相場は約10万~50万円です。 |
正徳(しょうとく)小判 | 正徳小判は1714年から使用された小判で、新井白石による通貨吹き替えの際に鋳造されました。鋳造期間の短さから流通量も少なく、希少性が高い小判のため買取価格相場は100万円以上と言われています。 |
享保(きょうほう)小判 | 享保小判は1714~1827年に使用された小判で、慶長小判に並ぶ価値の小判とするために鋳造されました。買取価格相場では、希少価値のある通貨として扱われており、100万円台で取引されることもあります。 |
元文(げんぶん)小判 | 元文小判は1736~1827年に使用された小判で、金含有量を下げることで通貨量を増やすことを目的に鋳造されました。買取価格相場は保存状態に大きく左右されますが、高ければ100万円台で取引されています。 |
大判の種類 | 説明 |
天正(てんしょう)大判 | 天正大判は安土桃山時代から江戸時代初期にかけて、豊臣秀吉の命により日本で初めて鋳造された大判です。天正大判は発行数が多いため、美品であれば約1,000万~1,500万円、状態が悪ければ約500万~750万円で取引されています。 |
慶長(けいちょう)大判 | 慶長大判は1601年に徳川家康による天下統一の象徴として鋳造された大判です。美品であれば約1,300万~2,000万円、状態が悪ければ約400万~800万円で取引されています。 |
元禄(げんろく)大判 | 元禄大判は1695年に鋳造された大判で、江戸時代の大判の中では大量に鋳造された金貨として有名です。約1,000万~3,500万円で取引されています。 |
享保(きょうほう)大判 | 享保大判は1725年に鋳造された大判で、流通期間が長いことから墨書きの書き改めが頻繁に行われました。約150万~500万円で取引されています。 |
日本で初めて小判や大判が誕生したのは、安土桃山時代と言われています。小判や大判にはさまざまな種類があり、状態が良く人気の小判や大判であれば高値で取引されることもあります。特に、元禄小判は価値が高い小判として知られており、約50万~100万円で取引されることもある小判です。
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